こんにちは。
先日、ちょっとだけ横浜の山下公園の寒くなるお話を書きまして
も少し書いてみようかなって
参考までに ⇓ ⇓ ⇓
wanko-no-cyancyanko.hatenablog.jp
横浜の観光地の代名詞ともいえる山下公園
ここは、大正12年9月1日に関東地方で起こった関東大震災の時
横浜中が燃えて建物が壊れて
その瓦礫(がれき)を集めて作った公園です
1930年3月15日に開園したそうです
その後、戦争を経て戦後、
米軍に接収され一時的に日本人が入れなくなっていましたが
段階的に返還され
1961年に再整備が完了し現在のようになったという事です









この事があってかの事なのか
私は山下公園の特に奥の方(桜木町側とは反対の山下ふ頭方向)が
とても苦手
今でこそ、綺麗に園内が整備されていますが
確か、横浜博覧会(1989年)前までは奥の方は鬱蒼と木が茂り
整備されずに薄暗い人毛がない場になっていました
なので、夜はアベックのたまり場になっていましたが
それだけでなく 実は自●の名所と言われるほどになっていまして
ますます近づきがたい場所でした
私だけではなく結構多くの方が (幽霊を)見た!という話というか
噂もあって気持ちの良い場所では無い、公園としてふさわしくないという事もあってか
横浜博覧会を機に木々が伐採され
綺麗に整備されて行きましたが、場所をきれいにしたとはいえ
やはりそれなりに残るもの(例えば 念 とか)は残るわけで
昼間でもなんとなく明るくないなと 私は感じます
またそれだけではなく、
横間駅から地下を通り中華街までつながりました
開通の日 2004年2月1日
忘れられないこの日
みなとみらい線が開通し、一斉に各駅の改札が始まりました
当時私は、山下公園の目の前のビルの中の会社に勤めていて
家から、会社まで歩いて行くときもありました
あの日は、なんだかバスが混みそうだったので
徒歩で会社に…
改札開始
改札を出て、地上に上がると大桟橋に繋がる大通りの交差点辺りに出てきます
私はそこを普通に通過しようとしたとき
地下の階段から何百人というほどの数の 元生きていた方たちが
大行列で出て来たのです
しかも、皆さん水を求めて 海の方向へ…
もちろん、普通に肉眼で見えてはいませんが
私にはその人たちの叫び声、子供も大人も若い人も老人も
みんな真っ黒こげになってどんどん海の方へ向かっていく
たくさんのさまよう人 人 人
しばらく通れなくて
見守っているしかありませんでした
さて、今日のところはおしまいにします。
ちょっと悲しい話ですよね
だって、地下から出てきて開放されたと思っても
当てがなくて、水を求めて
多分山下公園の方向へ向かったと思うのですが

どうかどうか、皆さん、明るい方向へ向かってくださいと
こころから思い見送りました
って、見送っていたら 遅刻した=====
ぎょえ~~~
最後までお付き合いくださいましてありがとうです
シャインのブログはまだまだ続くのだ☆彡